備前国 岡山城に行ってきた!
🏯 岡山城の縄張り(城郭の設計・配置)の主な特徴は、梯郭式を基本としながら、河川を天然の堀として最大限に活用し、城郭が西側に偏って配置されている点です。
1. 梯郭式(ていかくしき)を基本とした城郭配置
- 構造: 本丸(中心)をぐるりと二の丸が取り囲み、その外側をさらに三の丸などが配置される構造を梯郭式と呼びます。岡山城もこの形式を基本としています。
- 三段構造: 本丸はさらに本段、中の段、下の段という三段構造になっており、城主の御殿や政庁が置かれました。
2. 旭川(あさひがわ)を最大限に活用した防御
- 流路変更: 築城した宇喜多秀家(後に池田氏)は、城の防御力を高めるために、旭川の流路を意図的に城の北側から東側に沿うように大きく変更しました。
- 天然の堀: この改修により、旭川は城の東側と北側の天然の堀として機能し、強固な防御線となりました。これにより、東側は郭(曲輪)を重ねる必要がなく、防備が比較的薄い構造となっています。
3. 西側に偏った縄張りと広大な水堀
- 西側重視: 縄張り(郭の配置)は、旭川がない西側や南側に向かって幾重にも広がり、水堀で厳重に囲まれていました。
- 内堀の規模: 特に内堀の幅が最大約100mにも及ぶなど、全国屈指の規模を誇り、大規模な水堀を防御線に組み込んでいるのが特徴です。
- 二の丸の構成: 二の丸はさらに内郭と外郭の2層に分かれ、広大な西の丸を設けるなど、西側への備えが厚くなっています。
4. 宇喜多氏時代の特徴
- 不等辺五角形の天守台: 縄張りというより天守台の特異な点ですが、天守の土台となる石垣が、岡山の丘の地形に合わせて不等辺五角形という珍しい形状をしています。
- 金箔瓦: 宇喜多秀家時代の発掘調査では金箔瓦が出土しており、豊臣秀吉の家臣として、華やかな様式を城郭に取り入れたことが分かります。
これらの特徴は、豊臣系大名である宇喜多氏が、河川を巧みに利用しつつ、石垣を多用して築いた近世城郭の構造を示しています。
岡山城と合わせて、東側にある後楽園は、元々は城の後園(または郭の代わり)として築かれたという説もあります。
🏯 岡山城の天守閣の主な特徴は以下の通りです。
1. 漆黒の外観と別名「烏城(うじょう)」
- 外壁:黒漆塗りの下見板張りが特徴的で、この見た目の印象から、別名「烏城(うじょう)」と呼ばれています。これは、白い姫路城(白鷺城)と対比されることもあります。
- 築城者:豊臣秀吉の家臣であった宇喜多秀家によって築城され、秀吉の大坂城と同じく黒い天守が採用されました。
2. 不等辺五角形の天守台
- 天守がそびえ立つ天守台の石垣が、珍しい不等辺五角形をしている点も大きな特徴です。
- この変形の土台を補うために、望楼型という構造の天守が建てられました。
3. 複合式望楼型
- 天守の構造は複合式望楼型です。どっしりとした多角形の下層部の上に、比較的小さな四角形の望楼が乗っているような外観で、見る角度によって表情が変わります。
- 現在見られる天守は、戦災で焼失した後、1966年(昭和41年)に鉄筋コンクリートで外観復元されたものです(内部は資料館)。
これらの特徴が、岡山城を唯一無二の存在にしています。
岡山城で現存している建物は、以下の2棟のみで、いずれも国の重要文化財に指定されています。
- 月見櫓(つきみやぐら)
- ・場所: 本丸の中の段の北西隅にあります。・特徴: 江戸時代初期(1620年代頃)に建てられ、戦災を逃れた本丸で唯一の現存建造物です。城外からは二階建てに見えますが、城内側からは三階建ての構造です。最上階に縁側(廻縁)があり、月見の名のとおり優美な造りでもあります。
- 役割: 城の裏口(搦手)を守備する役割を担っていました。
- 西之丸西手櫓(にしのまるにしてやぐら)
- 場所: 本丸跡から約400メートルほど西側、西の丸跡に現存しています。
- 特徴: 二重櫓で、西の丸の西端を守る隅櫓として慶長8年(1603年)頃に建築されたと言われています。
現在の天守は、1945年(昭和20年)の空襲で焼失した後、1966年(昭和41年)に鉄筋コンクリート造で外観復元されたものです。