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愛知県碧南市の大浜陣屋跡に行ってきた

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大浜陣屋の建物は 明治20年(1887年)までに全て取り壊された ため、残念ながら 当時の建物の具体的な概要(間取りや規模の詳細)は現在残っていません 。 ​しかし、陣屋の規模や構成については以下のことが分かっています。 ​🏡 陣屋の規模と構成(推定) ​ 立地と敷地 : ​ 場所 : 現在の 碧南市羽根町一丁目 (大浜陣屋広場周辺)にありました。 ​ 広さ : 陣屋の敷地は、当時の資料から**「ほぼ羽根町全体であったと推測される」**ほどの広大な規模であったとされています。 ​ 前身 : もともと戦国時代の 羽城 (はねじょう)の跡地に築かれました。 ​ 陣屋の機能 : ​ 役割 : 領主(水野家)から派遣される 代官(郡代) や 手代 、そして地元採用の 郷方 が居住し、政務を行う役所(代官所)として機能していました。 ​ 建物 : 陣屋の構成要素として、政務を行う 役所(御役所) 、代官などが住む 居宅 、そして周囲を囲む 塀 や 門 があったと考えられます。 ​💡 現存する遺構と現在の姿 ​現在、陣屋の面影を伝えるものとしては、以下のものがあります。 ​ 大浜陣屋広場 : ​陣屋の跡地の一部が**「碧南市大浜陣屋広場」**として整備されています。 ​広場には 陣屋跡碑 や 案内板 が設置され、歴史を伝えています。 ​ 移築門(伝承) : ​陣屋の裏門と伝えられている門が、近くの寺院である**常行院(じょうぎょういん)**の山門として移築現存しているとされています。 ​現在の広場には、当時を偲ぶために 山門 (屋根本瓦葺き、高さ4.3mなど)や 沼津垣 (竹編垣根)が 復元 されていますが、これらは広場の整備にあたって設置されたものです。

愛知県碧南市の西方寺に行ってきた!

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碧南市 西方寺の建物は、 浄土真宗寺院 としての威厳と、 城郭を思わせるような武骨で力強い佇まい が大きな特徴です。特に、 太鼓堂(隅櫓) と 築地塀 が際立っています。 ​🏯 西方寺の建物の主な特徴 ​1. 太鼓堂(隅櫓) ​西方寺の建物のなかで 最も特徴的で目を引く のが、境内の北東角に建つ 太鼓堂 です。 ​ 完成時期 : 文久3年(1863年) ​ 外観 : その姿は仏教建築というよりも、**城郭の「櫓(やぐら)」**のように見えます。土蔵の端にそびえ立ち、 シャチホコ まで取り付けられており、道行く人に強烈なインパクトを与えます。 ​ 歴史的役割 : 明治4年(1871年)には、この太鼓堂が「 新民序 」という学校の校舎として使われ、 碧南市の学校教育発祥の地 となりました。 ​2. 本堂 ​数十年かけて造られた歴史ある本堂です。 ​ 着工時期 : 寛政12年(1800年)に着工し、完成までに数十年を要しました。 ​ 特徴 : 大規模な真宗大谷派の寺院にふさわしい、重厚で威風堂々とした佇まいです。平成の半ばに大改修が行われましたが、古い木材も生かされています。 ​3. 築地塀と山門・薬医門 ​境内を囲む構造も、寺院特有の厳かさに加えて強固な印象を与えます。 ​ 築地塀(土塀) : 太鼓堂と同じく文久3年(1863年)に完成。非常に 分厚く立派な築地塀 で、その分厚さは塀の内部を人が通れるような錯覚を与えるほどです。 ​ 山門(四脚門) : 左右に築地塀を従え、威厳があります。 ​ 薬医門 : 庫裏の前にあり、通常であれば山門として通用するほどの立派な造りです。 ​これらの建造物、特に太鼓堂や分厚い築地塀が、西方寺に「 戦闘的なたたずまい 」「 城のような印象 」といった独特の風格を与えています。