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11月, 2025の投稿を表示しています

備前国 岡山城に行ってきた!

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🏯 岡山城の縄張り(城郭の設計・配置)の主な特徴は、 梯郭式 を基本としながら、 河川を天然の堀として最大限に活用 し、 城郭が西側に偏って配置 されている点です。 ​1. 梯郭式(ていかくしき)を基本とした城郭配置 ​ 構造 : 本丸(中心)をぐるりと 二の丸 が取り囲み、その外側をさらに三の丸などが配置される構造を 梯郭式 と呼びます。岡山城もこの形式を基本としています。 ​ 三段構造 : 本丸はさらに 本段 、 中の段 、 下の段 という三段構造になっており、城主の御殿や政庁が置かれました。 ​2. 旭川(あさひがわ)を最大限に活用した防御 ​ 流路変更 : 築城した宇喜多秀家(後に池田氏)は、城の防御力を高めるために、 旭川の流路を意図的に城の北側から東側に沿うように大きく変更 しました。 ​ 天然の堀 : この改修により、旭川は城の 東側と北側の天然の堀 として機能し、強固な防御線となりました。これにより、東側は郭(曲輪)を重ねる必要がなく、防備が比較的薄い構造となっています。 ​3. 西側に偏った縄張りと広大な水堀 ​ 西側重視 : 縄張り(郭の配置)は、旭川がない 西側や南側に向かって幾重にも広がり 、水堀で厳重に囲まれていました。 ​ 内堀の規模 : 特に 内堀の幅が最大約100m にも及ぶなど、全国屈指の規模を誇り、大規模な水堀を防御線に組み込んでいるのが特徴です。 ​ 二の丸の構成 : 二の丸はさらに 内郭と外郭の2層 に分かれ、広大な 西の丸 を設けるなど、西側への備えが厚くなっています。 ​4. 宇喜多氏時代の特徴 ​ 不等辺五角形の天守台 : 縄張りというより天守台の特異な点ですが、天守の土台となる石垣が、岡山の丘の地形に合わせて 不等辺五角形 という珍しい形状をしています。 ​ 金箔瓦 : 宇喜多秀家時代の発掘調査では 金箔瓦 が出土しており、豊臣秀吉の家臣として、華やかな様式を城郭に取り入れたことが分かります。 ​これらの特徴は、 豊臣系大名 である宇喜多氏が、河川を巧みに利用しつつ、石垣を多用して築いた 近世城郭 の構造を示しています。 ​岡山城と合わせて、東側にある 後楽園 は、元々は城の 後園 (または郭の代わり)として築かれたという説もあります。 ​ ...

備中国 福山城に行ってきた !

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岡山県の福山城の天守閣の主な特徴は以下の通りです。 ​🏯 全国唯一の「二つの顔」を持つ天守閣 ​福山城の天守閣の最大かつ最もユニークな特徴は、北側のみ鉄板張りになっており、他の三方(東・南・西)が**白亜(白漆喰総塗籠)**であるため、見る方向によって印象が大きく異なる点です。 ​北側(JR福山駅新幹線ホーム側): 漆黒の鉄板張り。これは、北側が防御上の弱点とされていたため、鉄砲などの攻撃から天守を守るために厚さ3mmほどの鉄板が張られていた当時の姿を再現したものです。 ​東・南・西側: **白亜(真っ白)**の美しい姿。 ​この白と黒のコントラストは、全国の城郭でも福山城にしか見られない貴重な特徴です。 ​🏗️ 構造と様式 ​構造: 複合式層塔型、**5重6階(または5重5階地下一階)**で、**2重3階の附櫓(つけやぐら)**を伴っています。 ​再建: 現在の天守は、戦災で焼失した後、昭和41年(1966年)に鉄筋コンクリートで再建され、令和4年(2022年)に北側の鉄板張りなどの外観復元整備が行われました。 ​🌟 その他の特徴 ​立地: JR福山駅のすぐそばにあり、新幹線ホームからも天守を見ることができる珍しいお城です。 ​歴史的価値: 一国一城令が出された後に幕府の許可を得て築かれた城の天守としても貴重な存在です。 ​内部: 現在は福山城博物館として使われており、最上階は福山市街を一望できる展望台になっています。 ​福山城の北側鉄板張りの外観復元は、特に見どころとなっています。 ​🏯 福山城 全体の主な特徴 ​1. 歴史的・戦略的な特徴 ​A. 一国一城令後の「最後の名城」 ​築城の経緯: 元和元年(1615年)の一国一城令発布後、幕府の許可を得て、元和8年(1622年)に完成しました。これは、大規模な新規築城としては最後の近世城郭の例とされ、非常に珍しい存在です。 ​築城者: 徳川家康のいとこにあたる水野勝成(みずの かつなり)が、備後(びんご)国10万石の領主として入封し築城しました。 ​目的: 大坂の陣後に西国大名への備え、特に西側から攻め入る敵を監視・防...

愛知県碧南市の大浜陣屋跡に行ってきた

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大浜陣屋の建物は 明治20年(1887年)までに全て取り壊された ため、残念ながら 当時の建物の具体的な概要(間取りや規模の詳細)は現在残っていません 。 ​しかし、陣屋の規模や構成については以下のことが分かっています。 ​🏡 陣屋の規模と構成(推定) ​ 立地と敷地 : ​ 場所 : 現在の 碧南市羽根町一丁目 (大浜陣屋広場周辺)にありました。 ​ 広さ : 陣屋の敷地は、当時の資料から**「ほぼ羽根町全体であったと推測される」**ほどの広大な規模であったとされています。 ​ 前身 : もともと戦国時代の 羽城 (はねじょう)の跡地に築かれました。 ​ 陣屋の機能 : ​ 役割 : 領主(水野家)から派遣される 代官(郡代) や 手代 、そして地元採用の 郷方 が居住し、政務を行う役所(代官所)として機能していました。 ​ 建物 : 陣屋の構成要素として、政務を行う 役所(御役所) 、代官などが住む 居宅 、そして周囲を囲む 塀 や 門 があったと考えられます。 ​💡 現存する遺構と現在の姿 ​現在、陣屋の面影を伝えるものとしては、以下のものがあります。 ​ 大浜陣屋広場 : ​陣屋の跡地の一部が**「碧南市大浜陣屋広場」**として整備されています。 ​広場には 陣屋跡碑 や 案内板 が設置され、歴史を伝えています。 ​ 移築門(伝承) : ​陣屋の裏門と伝えられている門が、近くの寺院である**常行院(じょうぎょういん)**の山門として移築現存しているとされています。 ​現在の広場には、当時を偲ぶために 山門 (屋根本瓦葺き、高さ4.3mなど)や 沼津垣 (竹編垣根)が 復元 されていますが、これらは広場の整備にあたって設置されたものです。

愛知県碧南市の西方寺に行ってきた!

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碧南市 西方寺の建物は、 浄土真宗寺院 としての威厳と、 城郭を思わせるような武骨で力強い佇まい が大きな特徴です。特に、 太鼓堂(隅櫓) と 築地塀 が際立っています。 ​🏯 西方寺の建物の主な特徴 ​1. 太鼓堂(隅櫓) ​西方寺の建物のなかで 最も特徴的で目を引く のが、境内の北東角に建つ 太鼓堂 です。 ​ 完成時期 : 文久3年(1863年) ​ 外観 : その姿は仏教建築というよりも、**城郭の「櫓(やぐら)」**のように見えます。土蔵の端にそびえ立ち、 シャチホコ まで取り付けられており、道行く人に強烈なインパクトを与えます。 ​ 歴史的役割 : 明治4年(1871年)には、この太鼓堂が「 新民序 」という学校の校舎として使われ、 碧南市の学校教育発祥の地 となりました。 ​2. 本堂 ​数十年かけて造られた歴史ある本堂です。 ​ 着工時期 : 寛政12年(1800年)に着工し、完成までに数十年を要しました。 ​ 特徴 : 大規模な真宗大谷派の寺院にふさわしい、重厚で威風堂々とした佇まいです。平成の半ばに大改修が行われましたが、古い木材も生かされています。 ​3. 築地塀と山門・薬医門 ​境内を囲む構造も、寺院特有の厳かさに加えて強固な印象を与えます。 ​ 築地塀(土塀) : 太鼓堂と同じく文久3年(1863年)に完成。非常に 分厚く立派な築地塀 で、その分厚さは塀の内部を人が通れるような錯覚を与えるほどです。 ​ 山門(四脚門) : 左右に築地塀を従え、威厳があります。 ​ 薬医門 : 庫裏の前にあり、通常であれば山門として通用するほどの立派な造りです。 ​これらの建造物、特に太鼓堂や分厚い築地塀が、西方寺に「 戦闘的なたたずまい 」「 城のような印象 」といった独特の風格を与えています。